4月15日に書いた「日常 : 地震が起きる理由 」の続編です。
※1週間ほど前のことなので曖昧な記憶で書いています。
インターホンが鳴った後、ドアを開けると、こないだの宗教家2名がいました。
この時、僕はデイトレでポジションを持っていましたので、
はやく切り上げたかったのですが、結局30分程度話をしました。
この時も、大きな損切をしたような記憶がありますが忘れています。
成仏はいらない
この宗教で「成仏」と散々、主張してきます。
宗教を批判する気はありませんが「成仏」はなんのため?と思います。
ども、成仏すると、遺体は真っ白になるそうです。
また死後硬直がせず、柔らかいそうです。
ヨーロッパで似たような話を聞いたことがあります。
「ベルナデッタ ミイラの驚異」: 死後30年経ても変わらぬ保存状態とは?
こういうことだと思います。
ただし、「成仏」に僕はあまり興味がありません。
というのも、僕がしたいのは、僕の死後も家族が安泰であることです。
その土台作りが僕の人生の目標です。
だから、はっきり僕は「成仏」を望んでないと言いました。
子孫にも影響があります。
まぁこれも予想通りの答えです。
いろんな宗教がありますが、このあたりは共通しているところが多いです。
ましてや日蓮宗なので、「大聖人」や「娑婆世界」、「三毒」など、
一緒ですが、こちらの信者の解釈が間違っているかわかりませんが、
3毒を大聖人が言い出した的な話をしていたと記憶しています。
こちらの宗教はお釈迦さまではなく、大聖人を崇めているそうです。
しかし、三毒はお釈迦様が言ったことじゃないのかな?と思っています。
ちなみに、三毒に関しても誤ったことを言っていました。
「むさぼり」「愚痴」「怒り」です。
「むさぼり」部分が間違っていたと思いますが…どう間違っていたかは忘れました。
この宗教を、自分が信心することで、家族が恩恵を受けるそうです。
矛盾
宗教家さんと話をすると、多くの矛盾が見つかります。
僕としては宗教を信じる方を全く否定もしませんし、とても良いことだと思います。
ただ、同意できないのは下記の点です。
- 人に宗教を強要すること
- 宗教をしない限り、OOできないこと
- 不安を煽り、宗教をすすめること
宗教を信じていても、これらをしない人もたまにいますが、
ほとんどは、いずれかをしてきます。
これらを理由に僕は「僕自身は宗教を不要だと考えている」と言っても、
大体、否定してきます。で、宗教を強要してきます。
強要してきた時
他の宗教を否定したり、無宗教の方を否定したりする人もいます。
僕が、18歳くらいの時に、知り合いの家にいくと、
宗教に勧誘されたことを覚えています。
この友人は女の子で、「手料理を作ったから家に遊びにおいでよ」と言われました。
確か、このときはバイクの免許の筆記試験の帰りだったと思います。
で、遊びに行くと、手料理をごちそうになって、食べ終わった頃に、
宗教の勧誘要員の2名がやってきました。男性と女性でした。
18歳の小僧にしては、お二人とも大人です。
この友人には失望したのを覚えています。
はじめから「宗教に来てほしいんだけど…」と言われれば考えましたが、
なかば騙されています。まぁ良いです。
そのあと、バンドが好きと言えば、その宗教にいるミュージシャンの話だったり、
サッカーが好きといえば、宗教にいるサッカー選手だったりをアピールしてきます。
僕のあこがれは、今も昔も変わらず「ロベルト・バッジョ」なので、
このときのサッカー選手が、ロベルト・バッジョなのは効果的です。
否定を否定させる
この勧誘要員に、提案しました。
あなたたちは、その否定している宗教を何も知らないし、その集会でどんなものがされているかも知らない。また、宗教をしている人たちも全く知らないのに、どうして否定できますか?その否定を改めるなら、宗教の集まりに言ってもいいよ
と、僕は言い、相手に上辺だけですが、否定を改めてもらいました。
信心するのは自由ですが、他のものを否定している時点、何を信心しているのか聞きたいです。
先ほどの三毒の意味を考えてもらいたいものです。
だから、宗教に参加しない
話を現代に戻します。
玄関先の宗教家2名に、いきさつを説明し、自分が宗教活動をしないことも言いました。
でも、納得されません。
この2名は、うちの叔母(こちらも宗教家)と同じ発想です。
自分と同じ宗教をしている人しか良い人がいない
的な解釈です。
本当にこういう発想に出くわすと「失礼極まりない」と思います。
その人たちが、どれだけ苦労をし、人生を歩んでいるかということを知らず、
宗教をしていないからという理由で否定します。
うーん。宗教というのは「推し活」的なもんなのでしょうか。
とにかく僕は興味がない
宗教家相手なので、日蓮宗で使う言葉を出し、
「娑婆世界で一生懸命努力しないで、お経読んで罪を償う」という発想が理解できない。
そんな虫が良すぎる話は、この世にない。
結果には必ず原因がある。
実にシンプルです。
しかし、僕が知る宗教家の多くは、人生を難しく解釈します。
難しくというのは、矛盾が多い生き方の意味で使いました。
まとめ
玄関先で30分くらい対応しました。
最後は連絡先を交換しました。
「ありがとうございました」で終わりました。
荷物が届いた以外は、インターホンが鳴っても出るもんじゃないです。
面倒な対応は避けたいです。